同じ空間で二人共同じ座標に存在は不可能


これは、どういうことかと言いますと・・・

例えばあなたがパートナーと一緒に夜景を見ているとしましょう。

そして同じ場所、空間にいて

同じもの見たように思っても

実は・・・見ているものは全く同じではないわけです

あなたから見える風景と

パートナーから見ている風景は

見ている人の座標が違うので

角度、光の具合、明るさが違います

何かが影になって見えない、見えるの違いが生まれたりもするでしょう

さらには

視力の差、聴力の差、皮膚感覚の敏感さの違い

さらには

その人の過去の体験、認知バイアスがかかり

さらには

様々な好みがある(湧いてくる感情も違なる)

快感覚を感じるものも違う

その直前の気分も違う

体調も違えば、こだわっている考え方も違う


そうすると、、、あなたとパートナーは

そこで同じ場所にいたとしても

はたして

同じものを見たと言えるのでしょうか?

どうですか??

確かに、同じものを見たような気はします

けれど

少なくとも・・・

そこから得た情報はそれぞれに異なるはずですね

例えば

「何かを見た」という証拠はそこから得た情報で説明できますが

そこから得た情報が異なる・・・

なんか、とても理屈っぽく聞こえるかもしれません

でも、事実ですよね。これが

よく考えると不思議なことですが

同じ空間にいても全く同じものを見ているわけではない

このとことを理解した時

人は「孤独」を感じたり「個」を感じたり

分離感を感じる。。。

(まあつまりは、地球にやってきた理由を謳歌できたりするのでしょうけど)

これが現実体験の大きなヒントだと思うのです

つまりは現実創造のコツがここに詰まっている

あくまでも個人的な見解ではありますが

現実体験について、このように僕は解釈しています

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