真実は人の数だけあった

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え?

「真実ってたった一つじゃないの?」

「唯一の正しい現実というものがあるんじゃないの?」


『いや、そうではないんだよ』

『例え、同じ場所にいたとしても』
『みんなが体験していること自体違うんだ』


『例えば君と、君の友人は、物理的に全く同じ座標で物事を見ることはできるかい?』
『カメラを通してならできるかもしれんけど肉眼ではできないよね?』
『では、カメラを使い全く同じ物理的な立ち位置、同じ座標で見ることができたとしよう。』

『でもね・・・』


『この二人は、そもそも物事の捉え方も違う、生きてきた環境も教育も違い、そこで培ってきた観念も違うし、その事象についての予備知識も違うし現在の心のコンディションも違う。その直前に見た、印象にあること、感動したものも違うし、社会に対するそもそもの印象、捉え方も違う。風習、文化も違う。好き嫌いも違う。関心のありどころも違うし、ファッションに関するセンスも違い、優位な五感の特徴や、利き目、言語の違いもあるし・・・』

『物理次元では何もかもが違うんだ』
『「違う」を体験しに遊びに来ているので』
『それぞれの別の可能性を別な多様性を体験しに来ているのだから』


『だからね。

「コレらの違いがあっても全く同じ現実を体験したい」

って言っても、そんなことは絶対に、できないんだよ』

『もっと言えば・・・・』

『そもそもが現実は幻想だから。』
『そして幻想とはイメージ。イメージを具現化したのが現実』
『イメージが先。現実は後』
『イメージが現実を作る』
『さて、異なる二人が細部にわたって全く同じイメージをすることはできますか?』
『NOなんだ』
『できっこない』
『だからこそ!
  意見がみんな違っていて当然。当たり前なんだよ。』


だからこそ

「あなたのその主張の正しさを証明する必要なんてないのです」

それを
そんなことを証明するよりも
ただただ

「あなたの体験したい世界」に進むことに専念することの方が大切です。

つまりあなたが信じている「それ」をやり続けてください。



真実がなんで1つじゃないの?という意見の回答は

①前提条件としての知識、理解がズレていればそれは説得できないので無理です。

②仮に前提条件の知識に合意であれば、もしかすると説得は可能かもしれません。
 

 相手が、前提条件としてどんな信念を取り入れているか?

例えば・・・
人間とはなんであるか?
どういうものなのか?
なぜあなたはそこに存在しているのか?
なぜ動けるのか?
物質とは?エネルギーとは?
私たちが
科学としてわかっていることだけが存在するわけではなくて
わかっていないことがたくさん存在し
わかっていないことの方が多くて
さらには
既知のことすら、それが本当か危ういということ

感情、気持ち、電波、などなど・・・
目に見えないけれど確かに存在が認められているもの

存在することや
そもそも
目に見えるとはどういうことなのか?

例えばこのようなことの理解において

多くの人はその理解に差があるでしょう。

それにより
さらにその先のことへの理解は全く異なり、

それはまるで言語の違う国に来たようなものです。

単語や文法、発音など、前提知識、前提理解がなければ言葉は通じないです。

電気を使って生活している現代社会にいきる人が

電気を使わず、電気など知らない現地人に電気を説明することほど難しいことはない

 僕が採用している信念、考え方、観念ですが以下の通りです

(言語化には限界があるので僕の理解もここでの表現もまあ不十分だと認識しています)

人は、肉体以上の存在である

魂というものがある

多いなる1つの存在という意識があるがそれらは集合体でもあるし1つでもある

そしてそれは今の次元では表現も、体験も難しいことであるが擬似的あるいは一時的に体験することはできる可能性がある

(深い深い瞑想や、アヤワスカなどの覚醒体験などによる)

魂とは情報の入れ物である

魂とは、「大いなる1つであるもの」の意識の一部である

「大いなる1つであるもの」
その一部の意識が必要な情報を備えて体験(フォーカス)しているのが人生

パラレルワールドがある(可能性としては無限に存在する)

同じ現実を見ている人は一人としていない

などなどですがこれらの説明については1つ1つ僕なりの解釈があるので

あくまでも文章だけで理解しているものでありつつも

現実体験に生かしながら信じてその世界を生きています。

 

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